How to make

20年前のFabLab

私の実家は田舎町の鉄工所であった。父親が経営者であり職工であった。
父親は機械職工でありながらラジオ製作が趣味で、TV以前の娯楽がラジオや映画であった頃に、自作の五球スーパーラジオを工場で作った筐体を入れて母屋と工場で使っていた。

こんな環境で育った私あ高校1年の頃に電話級(現四級)アマチュア無線技士を取得してアマチュア無線局を開局した。高3になって受験の為にアマチュア無線しばし休止すると、父親が「俺も無線やる」と免許を取り、私のリグ(無線設備)で開局。父親はその後、CW(電信)がやりたいと電信級(現3級)無線技士を取ってローバンドの電信を主に運用していていた。

私は、高校卒業1年後に海上保安庁に入庁し実家を離れた。父親は無線設備を一新してアマチュア無線熱が加速した。地域にアマチュア無線局が増え144MHzの運用を通して地域のアマチュア無線家との交流も持つようになった。

私が実家を出て10年ほどして母親が亡くなった。父親は70歳。兄も実家を出ていたので父親は田舎で一人暮らしをすることになった。独居老人である。

一人暮らしの父親をアマチュア無線の仲間に助けていただいた。独居老人の様子を入れ替わり立ち代り訪問して見ていただいたのである。

これが縁で倉庫の無線局,電子工作室をミーティングルームとして開放し、さらに、工場の工具や機械を使って工作したい人には工場を開放した。
手仕上げ加工や溶接、旋盤などの機械加工を教えサポートしていた。今で言うFabLabを自然発生的に行っていたのである。

父親は生活を支えてもらっているお返しだと言っていた。

1993年頃から十年間くらい続けた。父親が軽い脳梗塞で倒れた。父親は「このまま独りでいて,また倒れたら周りの皆さんに迷惑をかける」と家・工場をたたんで兄のところに身を寄せる決断をして田舎町のFabLabは活動を終えた。

このFabLabには、利用メンバーによってアマチュア・パケット無線のBBS(電子掲示板)が置かれ、今で言うSNSの役目を担っていた。中継器を介して日本国内〜世界規模のアマチュア・パケット無線ネットワーク「RLI転送系RBBS」にも繋がっていた。

また、様々な人が集まり、本職の無線技術者による無線通信技術や大学生よるコンピュータなどの勉強会が開かれていたりしたそうである。

近年、FabLabとかコワーキングスペース等が米国をお手本に日本でも普及,興隆しているが、20年くらい前にこんなFabLabが田舎町で自然発生していた事を記憶にとどめておきたい。

実家跡

Google-map 広島県安芸高田市向原町坂(旧:高田郡向原町大字坂)

工場と母屋は解体され敷地は竹藪に飲まれつつある。車庫と倉庫(兼:アマチュア無線局,電子工作室他)がかろうじて残っている。

工場,母屋,アンテナ・タワーがあった。

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